母のさいご
母の命日が近づくと「一緒に行く人募集」を家族5人のグループラインにあげる。
今年は静岡から夫が来て車を出してくれた。
都内在住の長男と長女も参加。山梨の次女だけが都合つかなかった。
母が亡くなって3年が経った。死へ向かう母のもとへ通い続けた夏。母は大きな精神病院の一室で眠り続けていた。時に目を開ける事はあっても焦点は定まらなかったし、こちらの呼びかけが届いているのかどうか、分からなかった。でも、意思はあった。ギリギリまであったと思う。何故かというと、ごくまれに発語する事があったのだ。
母の意思表示、それは憤怒、不平、不満だった。わたしがさいごに聞き取れた言葉、それは信じられないかもしれないが「バカ」だった。口を動かしてる、なんか言ってる、なに?とやさしく顔を近づけたら確かにそう聞こえた。
このときの衝撃は大きく、今まで誰にも言ったことがない。
母は意に沿わぬ終わり方だったのだ。施設にいる時も、施設から病院に移った時も母の暴言はしょっちゅうだった。施設ではそれが行動に表れて職員を傷つけた。施設長に何度謝ったか分からない。
母が亡くなった後、病院で世話して頂いた看護師さんにも「ご迷惑おかけしましたよね」と確認しながら聞いてみた。やはりそうだった。「ミヨちゃんにバカって言われたあ」とスタッフ達で言っていたと…。そんなことしょっちゅうだから、と笑いながら言っていて頭が下がった。
長いこと介護してきて、さいごにバカと言われるとは思わなかった。当時はショックだったが時は流れた。孫たちの祖母としては申し分のない人だった。母に助けて貰った事もたくさんある。
不平不満で終える人生は哀しい。かわいそうに思う。性質や思考法の根底にあるものがさいごには表出するのだろうか。
しかし亡くなってみれば懐かしいあれやこれやを思い出す。墓参りを理由に家族が集まれるのも良いことだ。