一人になりたくて…(卒婚という選択)

60代女性の一人暮らし。本が好き。

そういう1月

  昨年は大変な年だった。今年もどうなることやら、展望は見えてこない。でもわたしは一人暮らし二年目に突入した。とても静かな日々。ちょっと退屈。ヒマという贅沢。

昨年は二月まで不定期に仕事をしていた。今は何もしていない。そうね、何かいい仕事があればまたしてみたいけど、こののんびり生活に慣れてしまったのでどうかな。

 夫は29日に来て3日に帰っていった。話し相手がいるのは楽しいけれどやはり気ままな一人ペースが狂う。好きな時に好きなものをささっと食べたりできない。二人だと相手の事を考えるし食材費もまあまあかかる。その代わり車で買い物に行ってくれるから重い物、かさばるものが買える。夫は難聴なので会話が不自由な時もある。わたしの普段の低い早口では伝わらない。いつもよりトーンをあげる。それがちょっと疲れる。

 夫もすることがなくなってきてヒマになり、仕事を探し始めているという。ボケないためにはそれがいい!と正月にきたこどもたちに言われていた。わたしは友達と会ったり習い事に出かけたり娘とあったりもするが伊豆の別荘地に引っ越した夫は誰とも会わない誰とも口をきかない日ばかりだとのこと。それはやはり寂しいだろう。

 わたしの提案した別居を快諾してくれたけれど、遠くへ追いやってしまったようでちくりと心が痛む時がある。あんなに楽しそうに毎日毎日パソコンを何時間もみて「田舎暮らし」を探し見学に行き、ベストな物件があったと大喜びしていた。営繕の仕事をしていたほど何でもできるのでリフォームを楽しんでいた。それでもだんだんすることがなくなってきたようだ。

 まあ、たぶん予測はしていたのだろう。ゆっくりとまたするべきことを見つけていってほしい。去年は息子が友達と遊びに行った。美味しい食事を作ったようだ。「今度ママがきたら」という話を何度も聞いた。いわく、食べさせたいメニュー。いわく、連れて行きたい所。。。楽しみにしている。夫のそういうところは昔から変わらない、サービス精神というか、相手の喜ぶ顔を見たいという利点なのだと思う。

 一緒に住んでいる時も「好きそうなスイーツ見つけた!」と買ってくることがあった。夕食後はお腹がいっぱいだし、カロリーも気になるところだけれど、「有難う」と言って頂いた。わたしの嬉しそうな顔が見たいとわかっているからだ。

 それは負担ではなかったし嬉しいことではあったので、「わーい!」と喜んで半分食べてあとは冷蔵庫にしまった。思い出すと懐かしい。

 感染拡大して伊豆に逃げてくるならいつでも車で迎えに来るからね、と何度も言いながら帰っていった。別荘地だから東京から行っても家にいれば誰とも会わずいいのかもしれないがわたしはまだここにいようと思う。一人静かに時が過ぎる。そういう1月。