一人になりたくて…(卒婚という選択)

60代女性の一人暮らし。本が好き。

伝言板

 朝のテレビをみていたら「携帯がなかった頃の待ち合わせ」みたいなことが話題になっていた。ついこの間までそういう世の中だった。
 わたしがこどもの頃は家に電話さえなかった。ごく稀に店屋物を注文する時には、歩いて店に行き注文を口頭で伝える、
というこどもの役割りがあった。
来客があったりの事情で家族揃って外出出来なかったのかもしれないし、そもそも父はあまり外食が好きではなかった。
 店まで行って(蕎麦屋だったと思う)注文を伝えるのは兄の役目。人前であまりしゃべらないわたしに仕事はないのだが、必ず兄と一緒に店まで行った。坂道を降りて行くときの嬉しい気持ちをよく覚えている。何を頼んだか覚えてはいないが、「特別感」にワクワクしていた。
ざわざわしている店で大きな声でハッキリと注文を伝える三つ上の兄が誇らしかった。

 時が流れ、家に黒い電話が入り、それは台所の隅で存在感を放っていた。私も兄も異性との電話は家族のいる台所でするしかなかった。
あの頃、どうやって待ち合わせの約束をしていたのか考えてみた。まず手紙。それから電話。でも一番印象深いのは「伝言板」だった。
大学生の頃、吉祥寺の駅の東口にあった伝言板。そこにあった彼の文字。「檸檬にいる」…誰から誰への記述はない。時間も記してあったかどうか覚えていない。でもそれは彼からわたしへの簡潔なメッセージだった。その大きく美しい字体をまだ記憶している。
 その文字を見つけるのがさいこうに嬉しかった。「檸檬」に行けば会える。早足でその喫茶店に向かう女子大生のわたしが今でも目に見える。会えるか会えないかわからない毎日だったと思う。たいていは二人とも吉祥寺にいた。彼はバイトをしながら手作りの詩集や童話を道端で売っていた。わたしは大学に行ったりさぼったりしていた。
 吉祥寺には古城やルーエやニューカワダがあってよく行った。でも彼と会うのは「檸檬」だけだった。会えないときは一人で行って二階の窓から外を眺めたりしていた。

 そんな昔のことをふと思い出した朝だった。美しい字を書く彼は九州に帰り、わたしはまだここにいる。吉祥寺の変貌を見続けてきてすっかりおばあさんになった。