一人になりたくて…(卒婚という選択)

60代女性の一人暮らし。本が好き。

洗濯できるようになる

救急外来から近隣の整形外科へ、そして今はリハビリに通っている。

近隣の整形外科はとても感じがよく、離れ難かった。でも理学療法士がいないので

電気治療と先生の可動域訓練のみ。これでもいいかなーと思っていた。

でも整体を勉強し、お店をもった友人に相談したら「リハビリは大事、専門に行ったほうが良い」とのこと。まだ怖くて電車に乗れないので、バスで通えるところ、どこがいいんだろう?とすごく調べたけど、迷うばかりでわからなかった。

ちょうど、かかりつけの頭痛医に行く機会があり、相談してみたら「肩、腕、手の専門の整形外科があるからそこへ・・・」と勧めてくれた。

バスを乗り継いで行く。

考えた結果、今の先生に相談し、気持ちよく紹介状を書いていただき、そこに通うことにした。

リハビリのお兄さんは優しく、説明もわかりやすく、ここで頑張ろうと思う。

片手で何でもしていたけれど、少しずつ左手も動くようになってきた。

今日は青空のもと、洗濯物が干せた!

これまで、洗濯機には入れられるが干すのが厄介だった。洗面所の突っ張り棒に引っ掛ける。下着や靴下はベランダの内側、陽のあたるところに並べて干物みたいにして乾かした。シーツやカバーは友人が来たときに手伝ってもらった。

でも今日、左手がだいぶ上がるようになり、洗濯ハンガーのピンチにギリギリ届き、それを押す、右手で挟んで干す、という作業ができるようになった。

ヤッタネ!このトシでできることが増える喜びを味わえるとは・・・。

 

本当はもうすぐ、友達の集まりに行くはずだった。「頭痛の会」で知り合ってから10年以上経つ。遠方の人もいてコロナもあって三年くらい集っていなかった。連絡が来た時行きたい気持ちが勝って「行けるかも」と返事をしたけれど、やっぱりどう考えても行けそうにない。諦めた。また会えるときはあるから。

今は、連休の頃に遊びにくるという娘たちに会うのが楽しみ。

そして少しずつできることを増やしていこう。

 

じぶんを癒やす散歩道

 今日も散歩に行ってきた。

ほんの少し近所を歩く。

骨折したばかりの頃は外歩きがこわかった。バランスが取れないし、また転ぶのではないかという恐怖もあった。転居のたびに何故か捨てずに持ってきた亡き母の杖が役に立った。片腕を吊り、杖をつきコートを羽織って歩く姿は異様かもしれずためらいはあった。でも、ここにはあまり人に合わない散歩道がある。  

 今日、「ここに越してきて良かった」と思った。以前の住まいは目の前に緑道がありすぐ近くに小金井公園があった。大好きな環境、と思っていた。しかし、散歩に出る時はその二択で、緑道にはいつもたくさんの人々が行き交っていたし、公園では犬の散歩とランナーたちに必ず会った。

 今の住まいは裏道に入ると、畑がある。空き地もあり、誰もいない小さな椅子だけある公園もある。ゆっくりゆっくり歩く。もう杖はいらなくなった。畑や空き地のタンポポやチューリップ、側溝の隙間のスミレ、よそのお宅の梅や木蓮、そのたびにに立ち止まって眺める。いちばん好きなのは逞しいスミレ。濃い紫。

 こんなにゆっくり歩いたり、立ち止まったりしていても誰にも見咎められないし、ほぼ誰にも合わない。(杖をついている頃、空き地の向こうからやってきたおじさんにジロジロ見られたことがあっただけ)

じぶんを癒やす散歩道がある。今日、ふとそう思った。

 先日、長女が大量のお見舞い品を持ってやってきた。

前開きの衣類、リールのついたパスケース、すぐに食べられるものなど。数え切れない入退院を繰り返してきた彼女らしいチョイスだった。嬉しかった。

 それから、図書館に電話してみた。

予約した本の用意ができるとメールで連絡がくる。ちょうど友人がきてくれたので返却、受け取りを頼んだけれど、それが不可能な場合はどうするんだろう。

図書館のホームページを見ると、高齢者や来館が不自由な方は宅配します、と書いてあった。それで、電話してみたら、来てくれるとのこと。良かった!本が大事。

だいたい、読書と、スマホかパソコンでゲームと、近所の散歩で過ごしている。

 これから始まるリハビリがちょっと不安だし、気持ちが沈むこともまだまだ多いけれど、どうにかひと月が過ぎようとしている。

不注意

一難去ってまた一難という言葉をしみじみと実感している。

 

3月はじめの日曜日、駅で転倒してしまった。

いろんな理由があり考えると後悔が押し寄せて辛くなる。

敏捷ではないし用心深いから慎重なつもりだった。でもちょっとした不注意だった。

救急車を呼びましょうと言われたが大丈夫ですと断って車掌室で休ませてもらい、

タクシーで病院へ。日曜日の夕方なので救急外来に行った。

あちこち打撲と左肩の剥離骨折だった。入院はしなくてよいけれど固定して安静。

紹介状持って翌日、近隣の医院へ行くことになった。

ちょうど数日後に用事で夫が上京する予定だったので、ラインでお知らせ。

あまり動けないけど、利き手の右手が使える。これはラッキー。

ロキソニンを頼りにして片手で牛乳を飲み、すこしパンをかじる。

夫は静岡からとんぼ返りしてくれて医院付き添い、飲食調達してくれた。

とんぼ返りだったのでその後数日は一人でがんばった。

 

用事のある日に夫がまた上京し、仕事もあるので戻るけど、「一緒に」という事で

静岡へ同行して一週間。昨日、また車で送ってもらってこっちに帰ってきた。

今日から一人。

骨折の経験はなくすごく不自由だし動かすと痛いから、着替えができない。

入浴もできないから温かいタオルで身体を拭けたらいいと思うけど、なんか夫には頼めなかった。タオルを絞れればレンチンはできるんだけど、まだできない。それでアマゾンで「温めて使えるからだ拭き」というウエットティッシュみたいのを買った。これは便利。つまり介護用品のところにいろいろ便利グッズがあるらしかった。ペットボトルの蓋も開けられなかったのでオープナーも購入。

夫が来る前、イワシの蒲焼き缶を「夕飯にしよう、カルシウムだわ」と喜びつつプルトップを引き上げたけどビクともせず・・・つまり左手でシッカリ押さえないとダメで、ついにはプルトップが取れてしまって泣きたくなったことがあった。

 

静岡では、食事の面では本当に助かった。夫と一緒にテレビで野球観戦もした。

こちらに戻りまた通院と療養の日々。医院は先生もスタッフもみんな女性で優しい。

身体拭くのも着替えも手伝えるからね、と言ってくれた。医院まで行くのがタイヘンだけど。

まだまだ時間がかかる。後悔しても仕方ないのに気持ちが沈む。

足じゃなくてよかった、右手が使えて良かった、暖かい日が多くて良かった、と考えようとする。心配させるからと、子どもたちには連絡しなかったが、結局、それぞれ用事で連絡してきたときに打ち明けた。三人とも「えーっ」とビックリ。

「みんなに心配かけてる」と呟いたら次女が「母はこれまで自分のことより家族の健康やら精神面やらを心配してサポートしてきたんだから、こういう時くらい今度は自分が心配かけていいんだよー」と言ってくれた。なんとやさしい言葉・・・涙がでた。

 

まだまだ時間がかかるらしい。やっぱり辛い。でも目立つ痣もだいぶ薄くなり、ロキソニンも飲まなくなった。片手で洗顔もシャンプーもできる。一時期よりも左手首や掌を動かせるようになった。起きてしまったことは仕方ない。もう少しがんばる。

試練

引っ越しは完了した。

そして、まさにその当日夜、身内の訃報が届いた。

あまりに突然のことだった。心身がついていけなかった。

昨日で二週間経過した。

「だいじょうぶか?」と家族がみんな心配してくれる。

関わりのあった人たちに知らせなくてはいけないのにまだしていない。

でも甥っ子がすごくがんばっている。彼を頼もしく思う。あんなに小さかったのにおとなになったんだね。いろいろちゃんとしっかり対応している。すごい。

 

 引っ越し前後は静岡から夫が手伝いに来てくれてとても助かった。

今回初めて「おまかせパック」というのを利用した。本部屋とキッチンのみ。いつ来てくれるのかと思ったら当日だった。スタッフ三名のうち若い女性がひとりで梱包していった。一目見るなり「これは見積もりオーバーになります」と言われ、あらあら話が違うじゃないのと思ったけど、仕方ない、何しろお任せだから。

 近隣引っ越しなので二往復して昼過ぎから夕方までかかった。スタッフが帰りお茶でも飲もうと思ったが食器がどこにあるかわからない。宝探しじゃあるまいし、ダンボールの山をかき分けて次々開けて夫と探した。客用の湯呑を発見したのでそれで良しとした。

 あとで気がついたんだけどどうして食器も本も服も雑貨も靴も、全部一つの部屋に積み上げていったんだろう。せめて本の山、食器台所用品、と分けてくれればよかったのに。早く終わらせたい感じでどんどん作業が進んでしまい隣の部屋にいたわたしに声がかけられる事はなかった。

 

 夫も帰り、ひとりになり、身近な喪失に呆然としながらもとりあえず数日後、野菜スープでも作ろうとしたら、包丁は見つかったんだけどまな板がないのだった。人参、玉ねぎ、じゃが芋、を並べてから気がついた。仕方ないのでダンボールをビリリとちぎり、キッチンペーパーを敷いて代用した。まな板は百均でゲットするまでずっとそれだった。キャンプみたいだった。

 りんごのマークの引越し業者は「アンケート全公開」とネットにあった。数日後アンケートに困ったこと、気がついたことを記入して後で見たら紙記入の場合は写メで公開している。ネット回答の場合は「ネット完結」となっていて閲覧できない。疑問がちらつきメッセージしてみた。メッセージはきちんと個別に対応してくれる。引っ越し前の見積もりの段階から対応は丁寧だった。

 メッセージ欄に「アンケートへの対応はないのですか」と書いたらすぐに責任者から電話があった。本の箱の下に食器の箱を置くなどあってはならないこと、と謝罪され見積もりオーバーしたぶんは返金されることになった。(こちらからは要求していない)

 そんなわけで・・・・二週間が経過した。

前のマンションより狭いところに来たので、収納が足りず、毎日ネットで収納グッズを探している。それでも一人暮らしには充分な広さがありとてもきれいなマンションでバス停が目の前にあるので便利だ。

 長女が、先日、美味しいお弁当を買ってきてくれた。荷物の整理も手伝ってくれた。

誰かと話し、何かを思い出すとき、まだ涙がでる。でもたぶん慣れる。

 

引っ越しと訃報が重なったこの冬の出来事はきっとずっと忘れないだろう。

 

 

買わない生活

 いよいよここから出ていくときが近づいてきた。毎日、不用品の整理をしつつ要るものは箱にしまったりしている。前述したように引っ越したくない気持ちはまだ強く、

少々憂鬱ではあるけれど、もう進むと決めた。次の住まいの鍵ももらった。ルーフバルコニーとかいう広いベランダがある。森の中ではないのでそこにテーブルを出してオシャレに食事したりはできない。でも同じ高さに接近する家屋がないようなので、そこで天気のよいときには本を読んだり、夕焼けを見たりすることができるかもしれない。

それを楽しみにしよう。

 引っ越し荷物を少なくするため今は「なるべく買わない生活」をしている。

テイッシュやペーパー類、調味料、飲料などなど安い時に購入してストックをしておきたい品々、今はストップ。もちろん身の回り品も買わない。増やしてはいけない。

 「古着deワクチン」https://furugidevaccine.etsl.jp/は「重くなるので玄関で作業しましょう」という注意書きがあった。本当にかなりのものが入った。未使用品もかなりありもったいない気がするもの、三人の子どもたちを順々に包んでくれた懐かしいクリーム色のおくるみ。大好きな猫が亡くなったとき這っていって頭をくっつけていたわたしの古いコート。

 どれもこれも大切にしていたけれど、思い切って別れを告げた。思い出はこころの中に大切にしまってあるのでもう現物がなくてもいい、ようやくそう決心した。

 

 7人と一匹で住んでいた二世帯住宅からここに引っ越してきた。今またさらにコンパクトな暮らしにシフトしようとしている。

もっといろいろ処分しなくてはいけないのかもしれない。一番やっかいなのが実家から持ってきたリビングテーブルだ。重いしちょっと大きい。でもなんか父母の思い出があって未練がある。父が煙草の灰をこぼした跡もある。きれいにし家具用のシールを貼って可愛くした。当初はそこでお茶を飲んだりしていたけれど、いつしか使わなくなった。処分するべき筆頭なのはわかっているが決心がつかずたぶんこのまま持っていく。

 置く場所があるのか?ギリギリかなー。パソコンデスク、テレビ台、本棚3つ。これらをとりあえず一つの部屋に置いちゃうつもりでいる。

 まだ使えるけど古いプリンターをジモティーに出したら数件の問い合わせがあった。

その中で好感をもった女性に譲ることが決まりホッとしている。今日、引き取りにくる。母の和装用バッグも困っていたが値下げしてメルカリで売った。

 

 多少疲れている。昨日は雨上がりの夕方、散歩にでかけた。そうか、この景色も思い出となるのか、ちょっと感傷的な気分になった。


f:id:mirotokei:20230117112816j:image

ひとりシニアの引っ越し

新年になりました。遅ればせながらおめでとうございます。

昨年秋から冬にかけて引っ越しについてぐだぐだしていました。

 

 心の中を覗いてみればわたしは引っ越しをしたくない。ここが好き。とても好き。

緑道に面している、大きな公園がある、バス停は始発で中央線に出られる。私鉄の駅までは歩ける。コンビニすぐそこ。スーパーも近い。静かなマンション。

だけどわたしはまだ一人暮らしがしたいので、やっぱりもう少し安い賃貸物件を探そうと決めて、そしてそれは予想通りすごくタイヘンなことだった。

 四年前にここに来たときもなかなかタイヘンだった。パート勤めのシニア女性が一人で借りようとしても、不動産屋さんはみんな苦い表情だった。いろいろあり、夫が最初一年同居することになり、夫が契約者となって借りることができた。

 さあ、今度はそういうわけにはいかない。もうパートしていない、年金生活者。

でも、格安ならどこでもいいというわけじゃない。わたしにだって希望条件がある。

予想していたことだけれど、困難にぶつかった。ぶつかるたび「やっぱりここから引っ越したくない」と泣きたくなる。

 結局いつものように、離れて暮らす三人のこどもたちが力になってくれた。

いつもラインで相談し、泣き言をのべ、息子とは電話で話して気持ちの整理がついた。

保証会社をいれてお金を払うことでようやく契約が成立した。

 

もう後戻りはできない。2月が更新時期のこのマンションが今月末から45日間エレベーター工事に入る。その間は引っ越しはできないので、エレベーターが止まる寸前に動くと決めた。ぐずぐずしてはいられない。管理会社と契約した日から引越し業者を探し見積もりに来てもらって比較検討して決定。

頑張ろう!とまず本をダンボールに入れ始めたけれど、何しろいっぱいある。すぐに疲れて頭が痛くなった。

見に来てくれた友人や家族の助言もあり、書斎とキッチンは引っ越し「おまかせパック」を利用することにした。良心的な価格設定なので迷わなかった。

 それなので、だいぶ気が楽になった。

もちろんまだここに未練はあるけれど、未練があるから近隣にした。

大好きな小金井公園にすぐ来られる。またいつでも来ればよい。

緑豊かなところでないと落ち着かない。井の頭公園の近くで育ちずっと過ごしてきたからだと思う。

 

公園があり、バス停とコンビニが近くにある。ここよりずっと小規模だけれど身の丈にあった暮らしができるだろう。「あるといいなー」と願ったエレベーターもある。カートやキャリーを引いている事が多いし、ちょっと足が痛いときも安心。

そういうことなので、いまは毎日にもつの整理中。

今年はこれまでとは違う景色を眺めて暮らす。

 

 

捨てる、売る、寄付する。

 また引っ越すの?タイヘンだね〜と言われる。じぶんでもそう思う。

でもいろいろ考えた結果、一人暮らしを維持するためには転居しかない。

4年前に引っ越してきたとき、気が遠くなるくらい親の荷物があった。

捨てて捨てて、「これくらい」と思うだけのものを持ってきた。後で考えようと思いながら今になり、箱を開けて整理開始。母親がデパートで購入した東京スタイルのコート、サンヨーのコート、オンワード樫山の礼服、東京ソワールのコートやドレス。

みんなレトロ感いっぱいだけれど点検してみるとそれほど状態は悪くない。

 母の遺品から頂戴して使用しているものはすでにいくつかある。安物しか持っていないわたしは有り難く活用させてもらっている。

しかし冠婚葬祭用の服はすでに持っているし(むかし母が買ってくれた気がする)微妙にサイズが大きいから処分しようと思った。

 

 処分したいのは自分の服もたくさんあり、そうそう、服以外にもたくさんあるのだった。なるべく身軽になって引っ越しをしたい。不用品は捨てよう。でも捨てるにはちょっと惜しいモノたちがけっこうある。メルカリで売れそうなものは売る(ちょっとめんどくさい) ジモティーに出して手渡す(手っ取り早い)。あとは「古着deワクチン」を申し込んだ。有料の袋を購入して大量に詰めて引き取ってもらえば良い。開発途上国の子どもたちのワクチン代になる。

 こうして少しずつ 片付けをスタートさせた。

今日もふと目に入ったのが七宝焼の道具一式。むかしわたしが使っていたミニ電気炉や釉薬がいろいろ出てきて懐かしかった。これはメルカリに出品。釉薬いろいろは格安にしたのですぐ買い手がついたけど、古いミニ電気炉はどうなることやら・・・。

恩師に結婚祝いに頂いた南部鉄器もある。重い。使っていない。でも手放してはいけないような気がしてずっと持っていた。これ「タカラの持ち腐れ」とかいうのかしら。