一人になりたくて…(卒婚という選択)

60代女性の一人暮らし。本が好き。

雪景色

 昨日は雪が降った。窓から眺めていた。仕事をしていた頃は本当に大変だったなあと思っていた。滑らないように必死で通勤し、仕事先ではまた必死に雪かきをしていた。

 無職となった今、雪は眺めるものになった。今朝「転ぶと危ないからなるべく外に行かないように」というやさしいメールがきていたな・・・と思いつつも午後になり日差しがキラキラし始めた頃、そっと長靴を出している自分がいた。

 やはりちょっとだけ雪の雰囲気を味わいたい。いつものあの公園の雪化粧も見てみたい。なるべく溶けている道を選んで公園に向かった。ちょっと雪に触ってもみた。満足した。

 

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 年賀状をやめた友人から今日、ラインがきた。去年はいろいろ大変だったようだ。

長女が幼稚園だった頃からのママ友で「Mちゃんはその後どう?」と心配してくれる。私と長女が入院したときに真っ先に来てくれたのも彼女だった。すこし年上でお姉さんみたい。

 今年こそは会えるといいね、と去年も言った気がする。

桜が咲く頃に公園を案内して、わたしの部屋でゆっくりおしゃべり。どこで待ち合わせてどの道を歩いてくるか、もうイメージはできている。実現できますように。。

 

泥濘の叢

 今年ももうすぐ終わる。わたし自身は大きなアクシデントもなく無事に過ぎた一年だった。家族は心配なこともあった。心労、闘病、職場での疲弊。わたしは見守るしかなかったけれど、「必ず言ってね」一人で頑張らないでねというメッセージは伝わっていたと思う。言ってくれれば一緒に考えることができる。聞くことしかできなくても精一杯に心を傾けて聞く。

 ひとりの年の瀬は静かでちょこっと片付けと掃除をしてから、重いものかさばる物などをネット注文してあとはいつものように散歩をしたり本を読んだりしている。

 図書館から借りていた三冊、桐野夏生さん「砂に埋もれる犬」 桜木紫乃さん「家族じまい」を読み終わり、いまは「透谷の妻」江刺昭子さんを読んでいる。北村透谷と美那子は激しい恋愛の末に結ばれたと勝手に思い込んでいたが、そうでもないようだ。たしかに透谷の情熱的なラブレターも残っている。キリスト教に導かれて結ばれた二人だったが結婚生活はたった五年。透谷の自死によって終わりを告げた。

 

 昨夜はようやく詩を仕上げてドキュメントファイルをサイトに送った。

今年は「灰皿町」に見つけて頂いたのが嬉しかった。年末にそれぞれが作品を提出して主催者の清水さんがアンソロジーにまとめてくれる。来年松の内まで募集しますと書いてあった。きっかけがないと作品は生まれない傾向にある。締切があると書ける。

書けるとやはり嬉しい。まだじぶんに詩があること。ささやかな表現者であることはきっとじぶんを支える。昨夜書いた終行にこうある。「また泥濘の叢を辿っていけばよい」 

 泥濘、ぬかるみはたぶん自分のテーマの一つ。叢、草むらはここに引っ越してきて散歩しているうちに取り込まれていた。

 

 

めったに更新しないのに読者になって頂いたりスターをつけて頂きありがとうございます。消極的ブロガーなので他のブログを読む事が少なく失礼しています。すみません。

 

 来年はよい年になりますように

牡蠣のシチュー

 今日はこれから次女が来る。仕事を終えて山梨から来て二泊する。新宿に用事があり先週の金曜もそうだった。日曜日の朝までいて帰る。混雑する電車が苦手で倒れたこともある彼女が来るのは嬉しいけれど心配も大きかった。でも、先週は無事に往復したからすこし安心。

 次女とは何でも話せるしとても頼りになる。子供になんでも話す、というのは子供に依存してるってことですよと、昔ある人に冷ややかに言われたことがあった。でもかまわない。わたしたちは共依存はしていない。

 彼女とたくさんゆっくり話すために、夕食はだいたい作っておく。先週は筑前煮をたくさん作っておいた。二人で食べるには多かったが翌朝もそれを食べれば良い。今日は牡蠣のシチューを作った。あとはチキンサラダでも作れば良いと思う。

 家族五人の料理を作っているときは毎日大変だった。目が回るような忙しさの合間にどうにか作っていたからまったく余裕がなかった。夕食後は五人分の食器、調理器具にお弁当箱(多いときは三人分)の汚れ物がシンクにあふれため息をついていたものだ。

 「家事労働」とはよくいったものだと思う。あの頃から比べると今はとんでもなくラクだ。バタバタと作っていた料理も少しは落ち着いて作れるようになった。ひとりだとカンタンに済ませてしまうことも多いから、たまにこうして誰かが来るのはいい。

 あの頃、新聞やら何やらをテーブルの端に積み上げてどうにか作ったスペースで食事していた。いまはランチョンマットを敷いたりちょっと可愛い食器を並べてみたりする。楽しい。食事を楽しめる余裕はきっと大切だと思う。

歩数計アプリ

 ここに引っ越してくるときの決め手が大きな公園だったから、園内を歩く楽しみがある。最初の頃は戻れるか不安になるほど広く感じた。分かれ道がたくさんあって目印となるものを見つけるようにした。

 のんびり歩くのは好きだけれど、もともと体力がなく脚力にも自信はないからどこまでも行けるわけではない。地図を広げて行くところを考えたりする。公園をぬけて知らなかった駅まで行けたら、帰りはバスに乗って帰って来る。

 スマホに入れたアプリで帰宅後に歩数と歩行経路を確かめるのは面白かった。

最近見つけた猫。

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緑道からふと横にそれてしーんと静かな小道を歩いていたら見つけた。アパートの片隅。本物の仔猫みたいでとてもかわいい。

 最近は「ピクミンブルーム」というアプリを入れている。これがまたすごく可愛くて気に入ったので他の歩数計はアンイストールした。歩数によってピクミンが育つ。おつかいにだしたりもする。フルーツを拾って来てくれる。「チャレンジ」というのが出て来たのできのこをこわしていたら近くにいたらしいプレイヤーが協力してくれた。

 何しろのんびりしているので、ピクミンをすごく増やしたいとか、新種が欲しいとかは思わない。花を植えたり、一言日記を書いたりして楽しんでいる。歩数を上げるためにもう少し歩こうかなと思えるし、画面を見ながら歩く必要もないので、シニアには向いてるんじゃないかと思う。

ミステリーの系譜

 いつもどこかに行こう、と考えている。でも活動的なわけじゃない。できれば何もしたくないし、誰とも関わりたくない。ひっそりとうちにいたい。どこかに所属しているとそれなりに動かなければいけないから、必要と思うことには参加する。

 習い事もしてる。ちゃんと楽しい。友だちもいる。ありがたい。でもきっと本質的にはひとりでいたいタイプ。協調性は子供の頃からなかった。家族の中でも何となくひとりだった。

 そういうわたしはむかしからバスや列車でどこかへ行くのが好きだった。見知らぬ景色が見たいと思う。海を眺めるのも山裾を歩くのも田園風景を見渡すのも好き。

 だからいつもどこかに行こうと考えている。考えているときが楽しい。一人でもいいし娘と行くのもいい。友人と行くときもある。夫が同行する場合は鉄道ではなくクルマとなりそれは楽チンだったりする。

 そんなわけで今回はえきねっとでチケットレスで指定席を取り甲府へ。いつかは行きたいと思いながら行けなかった山梨県立文学館に行ってきた。

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 ミステリーの系譜は詳細な展示で素晴らしかった。

富士山は遠くにかすんでいてハッキリとは見えなかったけれど、美術館もある芸術の森公園は秋の装い。

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 ランチは美術館で。

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甲州富士桜ポークのカルボナード」煮込んだ豚肉が柔らかくてとっても美味しかった。

 今回、本好きでミステリーにも詳しい友人を誘ってみたら喜んで同行してくれた。

いまはまた、今度はどこに行こう、と考えている

魂に触れる

お題「ささやかな幸せ」

 損保美術館に「川瀬巴水展」を観に行ってきた。

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 何年も前にこの版画を知ったときはやはりこの青色に強く惹かれて、新宿の紀伊國屋書店で画集を購入した。いつかは実物を鑑賞したいと思っていたのでチャンスがやってきた。旅する画家なので、わたしも訪れた日本各地の情景にこころがときめく。

 深い青色ももちろん素晴らしかった。今回とくに好きだと思ったのは闇につつまれる景色だった。グレイ、漆黒、それから濃紺、、、。しーんと静かだけれど何か力強さを感じさせる。

     先月は府中市美術館に「動物の絵 日本とヨーロッパ」を観に行った。若冲もあり、応挙もあり、ギュスターヴ・モローもあり、、、とにかくすごかった。動物が大好きなので全部をゆっくり観たくて一日中いたいと思った。見ごたえがありすぎて疲れてしまい結局はそんなには滞在できなかったけれど。

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 美術館に行けること。それは「ささやかな幸せ」というよりも素晴らしくかけがえのない幸せかもしれない。今週末はまたちょっと出かける。美術館、文学館、作家や画家の記念館に行くこと、わたしの大切なすべて。

 

はてなブログの本

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

 小さな紫色の冊子、手元に残った一冊。発行は「株式会社はてな」となっている。

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 ブログを書き始めたのは2005年のことで最初はgooブログだった。それから「はてな」ブログに引っ越してそこでブログを本にできると知りまとめたのがこれ。書いたものが活字になって本の体裁をとる、というのが画期的で嬉しかっった。

 2005年から2015年までのブログを一冊にして、そのあとまたgooブログに戻ったりmixiで熱心に書いたり、詩のサイト「灰皿町」で詩や短文を書いたりして結局またここに帰ってきたのが一年位前。。。いつも誰にも見つからないように、と思いながら書きたい気持ちだけで気の向くまま綴り、それでも読んでくださる方が増えるのはうれしく、また有り難く・・・。けれど放浪癖のある猫みたいに、隠れていたはずの場所からまたどこかへいきたくなる。それを繰り返して、昔の住処に戻ってきたような気分。

 あまりにウロウロしていたので行方不明になっていたようで、つい最近「灰皿町」の大先輩の詩人の方が探してくれていたことを知った。アンソロジーとなった本を送っていただき感慨深く、以前に投稿した詩を読み返している。

 10年で変わらなかったこと、といえばやはり「書くこと」。書くことはじぶんを支えること。気持ちを表す手立てがあって良かったと思う。切実にそう思う。

 では10年で何が変わったかというと、生活スタイル。当たり前だけど大きく変わった。仕事も変えたし、子どもたちは独立したし、長年住み慣れた土地に別れを告げて一人暮らしを始めた。親も愛猫も旅立ってしまった。

 ここにいつまでいるのかわからない。案外長居をするかもしれないし、ふらりと寅さんみたいに出かけてしまうかもしれない。

 最近、夜にゴミを捨てに行く。マンション敷地内だがほんの少しだけ歩く。夜の空気。マスクをとって夜の匂いを嗅ぐ。ほんの少しだけ歩いてマンションのエントランスに戻ってくる。長年住み慣れたあの古い家ではなく、今ここがじぶんの場所なのだ、と思う。一人だな、と思う。開放感と寂寥感がぐっと胸に迫り、それは今しか得られないもの。ひとり旅のときに似ていて必ず空を見上げてしまう。その夜空が好きだ。

 10年経っても変わらずにブログを気まぐれに書いている。見上げる空が夜だったり朝だったり、夕焼けだったりする。見知らぬ場所に佇むこともある。書くことで自分を支えながらまた10年やっていくだろう。